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青山ぱせり日記

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山陽線で小野田まで


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新山口駅に着くとそこから山陽線で小野田まで、

宇部を過ぎると 次なのですが、車窓に川が見えます。
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ほぼ四半世紀前にも この川は記憶に有りました。

母が硬膜下血腫で入院した時に 父は弟のいる山口へ…
とても機嫌良くしていたのに3週間目に
突然体調を崩して 危篤状態になってしまいました。

私は東京から飛行機でやって来て一晩付添い、翌朝
小野田駅から、この川に沿って走る電車で小郡へと
大阪で入院している母の元へ新幹線で行ったのでした。

母の様子も確かめ その晩私は一先ず東京に戻り、
帰宅後、深夜に父の訃報が届きました。

そこで、弟と葬儀を何処でするかで意見が対立、
山口でと言う弟、やっぱり母も親戚もいる大阪で、
の私、従兄弟を巻き込み、私が勝った。
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それまでは私と弟は犬猿の仲で、小さな時から
歳が近い所為か 仲が悪くてカタキ同士と(笑)

言われていたのですが、その後の母の2ヶ月の
入院で 代わる代わるに東京と山口から看病に、
皆で協力しなければ 何も出来ませんでした。
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私は仕事を4本こなしながら、母の枕元で仕事をし、
デザイン画を描いていると、母は私にアドバイスを…
やっぱり、おしゃれチェックをするのです(笑)
本当に無我夢中の3ヶ月間でした。

母が倒れて1月で父が逝き、わずか2ヶ月で両親を送り
その2ヶ月後に義妹の母を送った、怒涛の日々でした。

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この小野田駅は小野田線という単線の始発駅です。
私達が育った、伊吹と同様に、セメントの町なのです。
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ここの工場が一番長く、こちらに家を建てて、
転勤も多くて、東京本社勤務も10年以上でした。

八重洲に本社があるので、よく帰りにウチに来て
東京の大学に来た次男も一緒に皆で食事をしました。


高齢の従兄弟達にはこちらからお断りを入れて、
(私の両親は末っ子同士でその上 晩婚でした)

家族葬でと言ってたらどんどん人が増えて、
現在の社長も東京からやって来て、大きなホールに。

知らない方に弟さんにはお世話になりましたと
お礼を言われ、知らなかった弟の歴史も垣間見た。


ほぼ同年の又従兄弟は、横浜と高松からやって来ました。
小学生の頃、神戸と伊吹で交換故郷の様に、夏休みに
行き来していたので、いとこ以上の友人です。

生前の弟の話に花が咲きます、言い出したらきりが無い
偉そうだったとか、実はギリギリの卒業だったとか、
出て来る出て来る、その辺で 弟は「違う!」
と言ってるに違い無い…

通夜振舞の席はさながら同窓会の様に…
私は途中で眠ってしまったけれど、皆若い…

東京へ戻って来て、大分落ち着きました。
また普段の生活が始まります。

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by cenepaseri | 2019-06-11 09:01 | 日々 | Comments(26)
Commented by albany05 at 2019-06-11 09:23
おはようございます

弟様の訃報に接し、お悔やみ申し上げます。
まだパセリさんとはブログを介して知っただけなのに涙があふれてきました。春にお見舞いされたときのご様子も読ませていただいて、そのお気持ちを深く感じました。親しい方に重なる経験と思いがあるだけに、パセリさんの悲しみはいかばかりかと。そんななかにもイイねをありがとうございました。私はこの2日間イイねがどうしても押せなくてごめんなさい。
弟様のご冥福をお祈りいたします。パセリさんお辛いでしょうが、お姉さまとして素晴らしい弟様に最後のエールで
見送って差し上げてくださいね。
Commented by satohit at 2019-06-11 10:40
はじめまして
小野田と聞いてメッセージを送りたくなってしまいました。
今から四十数年前、ある種目のインターハイ決勝の対戦相手が小野田高校でした。
ブログを読むまで小野田セメントと小野田が結びついていませんでした。
写真から地域の雰囲気も何となく伝わり、頭の片隅にあった小野田が身近になった気がします。
身勝手なコメントで申し訳ありません・・
Commented by cenepaseri at 2019-06-11 11:04
> albany05さん
お優しい御言葉ありがとうございます。
やりたい事をやり切って、なので勿論心残りはあったと思いますが、
告知をされても動ぜず、タバコ早めたけれどお酒も辞めず、本望かと思います。
2日間はつらかったけれど、親戚一同集まって言いたい放題でした。
生まれて来て、袖擦りあって、又離れて行くのだと痛切に思いました。
だから皆その時その時を大切に生きなければいけないと、
過ぎた時は戻らないけれど、心の中に共有出来ますからね。
Commented by blue-salvia2 at 2019-06-11 11:17
弟様のご逝去を悼みご冥福をお祈りいたします。

この前にお見舞いをされたのを、ブログで読んでいましたから、ぱせりさんの寂寥感を思うと何とも言えない気持ちになります。

ぱせりさんは短い期間でご両親を見送り、その当時はお仕事がお忙しいようでしたから、精神的にも、また頭の切り替えと体力的にもお辛かったと想像します。私も両親を既に亡くしていますが、長兄を亡くしています。兄弟を亡くすのは、親とは違う一抹の寂しさがありますね。兄が67歳と若かっただけに、もう少し生きてて欲しかったです。ぱせりさんの弟様は繊細でありながら豪快な生き方をされたようですね。社長まで登り詰めた方なので、ストレスも大きかったでしょうが、人望が厚く皆さんに慕われて良い人生でしたね。心よりお悔やみ申し上げます。

ぱせりさんもお疲れが残っているでしょうから、どうかご自愛下さいね。
Commented by cenepaseri at 2019-06-11 11:19
> satohitさん
コメントありがとうございます。
弟は関連会社の化学の方でしたが、父も祖父もセメント会社でした。
本社以外は田舎に有ります。
あと何回 小野田へ行くのかは不明ですが、次は絶対飛行機にします。(笑)
新山口までは4時間ちょっとですが、その先が1時間に1本の電車です。
帰り道では 少し遠過ぎる山陽小野田市でした。
Commented by cenepaseri at 2019-06-11 11:32
> blue-salvia2さん
暖かいお言葉をありがとうございます。
両親の時は皆忙しくて、お母さん子だった弟は仕事を辞めて看病するなどと
言いだす始末で、兄弟夫婦一丸となって戦いました。
多分ストレスが大きかったと思います、気が小さい癖に大風呂敷で(笑)
自分のイメージで生きたかったのでしょうね…
サルビアさんのお兄様も67歳だったのですか?弟も丁度67歳半でした。
両親とはまた異なった喪失感ですね…
昨日は8時に就寝しました。(笑)今日からは又元気な自分になります。
Commented by kitaoni at 2019-06-11 11:56
パセリさん、心からお悔やみ申しあげます。
御気持ちを思うと何とお声掛けしてよいのかと胸痛みます。
お父様、お母様をおくったくだりでは読んでいて私までも涙してしまいました。
私も母を、父をおくった時のことを思い出してしまいました。
大切な人との別れは辛いものですね...... 私もおくることの多い此の頃です。
パセリさん....... お疲れがでませんよう御自愛下さいませ。
Commented by cenepaseri at 2019-06-11 12:59
> kitaoniさん
子供の務めとは言え、両親を送った時はつらかったです。
多忙な日々を送っていて、週一で大阪へ、母から回数券を買えと言われ、
それでもずっとは側にいられなかったので、心残りがありました。
本当に最近は送る事が多くて、又従姉妹とはこの次はめでたい席でね、が
合言葉です。
Commented by Diary-17 at 2019-06-11 15:20
御弟様のご冥福お祈りすると共に御家族の皆様にはお悔みを心より申し上げます。
パセリさんとはお互いに面識は無いものの、
ブログを通して、こうしてお友達になれ、殆ど毎日の様に心を開き合えるそのお友達パセリさんの弟様の訃報は私にも悲しく、
又、御両親が病に伏した時のお話もパセリさんも又、病床の御両親もどんなにお辛かった事かと察するに、パセリさんの今日のブログを平常心を保ち読む事は私にはとても難しいかったです。
どうぞパセリさん、お疲れが出ませぬ様ご自愛ください。
ブログを毎日楽しみにしています。


Commented by cenepaseri at 2019-06-11 15:43
> Diary-17さん
本当は辛い事や悩み事は書きたくなかったのですが、
自分で選んだほぼ毎日の忘備録で、どうしてもパスする事は出来ずに…
逆に皆様にご心配をおかけしてしまいましたね。
両親の時はあれよあれよと言う間に事が起こって、殆ど何も出来ず、
今回は時間も心の余裕もあって、落ち着いて送る事が出来ました。
Commented by mary_snowflake at 2019-06-11 16:14
ぱせりさん、弟様のご逝去、心よりお悔やみ申し上げます。
未熟な私は 今おかけする言葉も見つけられず、ただ ぱせりさまのブログを 何度も拝見し、涙しました。
私にも妹がいますが、漠然と 妹は私よりずっと元気でいるように思うものです。
弟様をなくされた ぱせりさんの 今の深い悲しみ、寂しさを思うと、私も悲しく 胸が痛みます。
ぱせりさん、ご家族さま、お疲れが出ませんよう どうぞご自愛下さいますように。
弟様のご冥福を心よりお祈りしております。
sapphire

Commented by uransuzu at 2019-06-11 16:21
前回のの山口訪問以来、気になっておりました。
弟さんとは故郷の想い出に繋がりますね。
美しい緑の豊かな土地、ここでこうして遊んだ喧嘩した、きっと想い出も尽きないことでしょう。多くの方に愛されて、姉の知らない弟さんの姿も愛おしいことでしょう。
悲しみは、後からもやってきます。
パセリさんもお身体をご自愛ください。
心よりご冥福をお祈りします。
Commented by cenepaseri at 2019-06-11 16:45
> mary_snowflakeさん
皆様に本当に悲しい思いをさせてしまってごめんなさいね、そして
お優しいお言葉をありがとうございます。
やりたい放題に生きた弟ですので、辛いこともあったと思いますが、
ほぼほぼ やり切った感だと思います。
姉妹はまた特別でしょうね、分身の様な感じがします。
弟にはいつもハラハラさせられて、心もとなく思う事も有りました。
向こうもそう言ってるかも知れませんが…
Commented by cenepaseri at 2019-06-11 18:41
> uransuzuさん
はい、御心労をおかけ致しました。
車窓から故郷を見ると、熱い思いが蘇ります。
まだまだ 近しい人たちに伝えねばなりません。
皆様ショックを受けられますので、心苦しくて、
あんなに、好き放題でしたのにと…人は分からないものです…
弟なりに頑張った人生だったと思います。
母のアホな子ほど可愛いの言葉がしみて来ます。
Commented by NT-patientless at 2019-06-11 20:43
弟さんのご逝去 心からお悔やみ申し上げます

こんな事言うたら怒られるかもしれへんのですけど
長患いして痛い思いし続けたり、治療の副作用で苦しんだり
そんな期間が無かったていうのんはお幸せな事とちゃいますやろか?
ほんで生前やりたい放題して後悔も無い人生なんやったら
羨ましい程の死にざまやと思えますわ・・・

けど姉妹を持つ身としては
妹であろうと姉であろうと私より先に逝かれたら
あかんたれの私は立ち直れへん程打ちのめされてしまうと思います
今ちょっと想像しただけでも泣いてしもた・・・
なんにもお力になれるような事言えへんですんません

向うの世界からぱせりさんを見守ってくれはるメンバーに
ならはった弟さんのご冥福をお祈り申し上げます
合掌
Commented by myumama3434301 at 2019-06-11 21:29
こんばんは。
弟様の事、心からお悔やみ申し上げます。
全く痛みを伴わず、弟様も苦しまれずに逝かれたのですね。
パセリさんのお心を思うと、私のコメントなど何の役にもたてそうに無く。
お力になれずな私。

どうぞ、お疲れが出ませんように。
弟様のご冥福をお祈り申し上げます。
Commented at 2019-06-11 21:35 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by gallery-asaba at 2019-06-11 23:56
弟さんがお亡くなりになられました事、心よりお悔やみ申し上げます。
ぱせりさん、お寂しくなられましたね。
そして随分お疲れの事と思います。
私も姉を亡くしたばかりですので、親の時とは又違った別れの想い、お察し致します。
弟さんのお人柄が偲ばれるエピソードの数々ですね。
ぱせりさんの様に、弟さんも人望がおありだったのですね。
前回お見舞いに来られました時に、弟さんご家族と楽しい時間を過ごされました事、きっと弟さんも良い思い出になられて喜んでいらっしゃる事と思います。
交通の便が悪くて、大変でしたね。
山口に居ましたら、お送り出来ましたのに。
お辛いで事でしょうが、どうぞお疲れが出られません様に。
弟さんのご冥福をお祈り申しております。

Commented by ハジメ at 2019-06-12 00:13 x
弟様の訃報に接し、心からお悔やみ申し上げます。
弟さんとの思い出、ご両親のことを読ませていただき、パセリさんのお気持ちを思うと、、、、言葉が見つかりません。
山口までの長旅で、ぱせりさんとご家族のお疲れも心配です。どうぞ、無理されないように、ご自愛ください。

Commented by kanappelle at 2019-06-12 08:26
弟様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
ご両親様を相次いでお見送りされたお話をも読ませていただきましたが、お仕事をされながらのご看病そしてお見送りされなきゃいけなかった当時のご苦労は、大変なものだったろうとお察しいたします。
弟様は、社長にまでなられた方なので、きっとご自身のお体より社員の方々の事を優先され、ご無理されていらっしゃったのでしょう。心からお悔やみ申し上げます。
きっとお疲れが残っていらっしゃると思いますが、どうぞご自愛くださいませ。
Commented by cenepaseri at 2019-06-12 09:05
> NT-patientlessさん
コメントありがとうございます。
肺癌て一番痛いらしいですね、そして抗癌剤もツライらしい…
抗癌剤も全く吐き気も無く、しかも4種類とも効かず、
弟は3月末まで自分が死ぬとは思ってなかった様です。
来年のオリンピックまで申し込ませて、それも何故か卓球。

そう言えば、俺は太く短く生きると昔は言ってましたし、
入社面接で社長になる宣言も、みんな有言実行だったのかと
思ってしまいました。言霊には注意ですね…
Commented by cenepaseri at 2019-06-12 09:22
> myumama3434301さん
コメントを ありがとうございます。
痛みも無くて、先々日まで散歩もしていたのに、急変するものなのですね。
義母は血液の癌でかなりの苦痛の様でしたので、信じられ無い位でした。
弟がこんなに面倒見が良く、皆様に好かれていたとは思いも寄らず、
見直した次第です、もう少し優しくしてあげれば良かった…遅いけれど。

Commented by cenepaseri at 2019-06-12 09:38
> 鍵コメ21:35さん
そうだったんですね、父は大阪セメント、今の住友大阪セメントで、
祖父が日本セメント 今は秩父小野田と合併して太平洋セメントに成っています。
父は伊吹の後に生コンの工場を2件立ち上げました。どちらかと言えば
プラントを作るのが仕事の様で、平穏無事な仕事は無かったです。
弟は本当は数学よりも歴史好きで、就職してからも技術職より、
営業にスカウトされていましたが、生産畑は守った様です。
今考えると、弟も私も母の考えた道を歩いていました。
小野田の銘菓セメンダル最中、小野田のセメント愛の深さに驚きました。
Commented by cenepaseri at 2019-06-12 10:14
> gallery-asabaさん
コメントをありがとうございます。
弟の最後の旅行が私と友人との伊吹旅行で、最後のお酒がこの前の
山口旅行だったとの事で、節目節目に思いがけずに参加しておりました。
お互いに本当に良い思い出を作れました。ありがとうございました。
お土産に持って行った獺祭も飲め無かった様です。
通夜の夜皆で献杯いたしました。
親の時とは異なった寂しさが有りますね、お姉様なら尚のことです。
又何度か行く事になりますが、この次は飛行機で…
Commented by cenepaseri at 2019-06-12 10:28
> ハジメさん
コメントをありがとうございます。
少し短かったかも知れませんが、楽しい人生だった様に思います。
北海道から沖縄まで、栃木と茨城を除いて2〜3周はした様です。
山奥の廃屋で捨て犬を飼っての一人暮らしの夢は叶いませんでしたが、
ほぼほぼ 思い通りに生きたと思います。
不幸が有ると纏まる一族なので、これからも義妹の力になっていきます。
帰って来た時はかなり疲れましたが、もう回復して元気になりました。
Commented by cenepaseri at 2019-06-12 10:40
> kanappelleさん
コメントをありがとうございます。
あの川を見て つい その時の不安な気持ちを思い出してしまいました。
仕事をしている人は皆そうかも知れませんが、会社経営と個人の仕事と、
締め切りは待ってくれませんし、今思うと やっぱり影響は出て
ご迷惑をお掛けした様に思います。
弟も仕事を辞めてからは家族に優しくなった様で、
やっぱりストレスが凄かったのではと推測しました。
仕事をしている時は戦闘モードだったのでは無いでしょうか…