山口へは娘と孫と夫との4人旅でした。
はやぶさが停まっているよと、孫にホームの前方に呼ばれて
初めて見た新幹線開業のモニュメント、
19番線の一番大阪寄りに有りました。
1964年、昭和39年10月開業でした。
何十年も乗っているのに知りませんでした。
子供の目線って新鮮で、私たちには見えない世界が
きっと広がっています。それに気付かされます…
これこれ其処を触ってはいけませんよ、
でも おばあちゃん此処ピカピカだよ。
みんな触ってるんだよ…
みんな素通しのメガネと下の鼻を触る…
功績のあった新幹線の父と言われる十河総裁の
ブロンズのレリーフは表側に有りました。
こちらは1972年の物です。
御本人はレリーフなんて嫌だと、
どうせ鳩のフンまみれになるに違い無い、と
ついでに俺に似てないと、仰っていましたが
不正解!お鼻がピカピカになる、でした。
おばあちゃん、僕のお弁当をブログに載せてと、
なんと孫の駅で買ったお弁当は厚切りカルビ弁当、
色んな部位が入っています。
もちろん完食してました。
娘がこっちも撮る?と聞きます。
ブラックシンカリオン弁当?そんなの走ってた?
TVの番組に出て来る新幹線だとか、
中身はお子様ランチですが、孫はおじさんの様な
食事が好きで、此方は入れ物が欲しくて、娘が協力。
しかし中身は少しで 娘には物足りなかった様です。
夫は東京弁当、有機認証米で、鉄道博物館所蔵の
東京駅の絵葉書入りです。
老舗の味らしいお料理の お品書きです。
今半の時雨炊きと青木の玉子焼きは少し頂きました、
かなり美味しくて 私の駅弁のとは全く違う味でした。
私は迷った挙句、バランスの良い50品目です。
此方のお弁当も色々入っていて美味しく頂きました。
私がともすれば、落ち込みそうになるのですが、
有り難い事に時折、孫が笑わせてくれました。
帰りは別々に 娘親子は宇部空港から一足早めに
帰りました。翌日学校ですから、
南国ぅ、という宇部空港の感想と
空港で孫が尾道ラーメンを嬉しそうに食べてる
写真を送って来ました。
私達は全てを終えて 大阪、高松からの方達と一緒に
帰途につきます。
お互いに二人姉弟の同年の又従姉妹も、
弟を13年前に亡くし、彼女は母も亡くしている
弟の子供達を力強く厳しく見守りながら、
自分の父と同じ会社で定年まで御局様として
勤め上げました。
遺された子供達の為、弟の分まで長生きしなくては、
と強い御言葉でした。
余程私は気落ちしている様に見えたのでしょうね、
或いは その時の自分を重ねていたからかも
知れません。
小野田駅で見た、黒猫の線路の横断です。
ワイルドキャット!
皆それぞれの家路に着きます。
帰りの伊吹山までは陽が保たず、たつの市辺りで
日暮れました。
義妹のバタバタはまだ始まったばかりの様です。
此の晩は TVを付けたまま寝落ちしたらしいです。