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青山〜チトフナぱせり日記

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Tファクトリーで1回目のショーと思い出話

私の仕事史の続きです。
直ぐには思い出せなくなって来てますので、
書くのに時間がかかっています。
Tファクトリーで1回目のショーと思い出話_e0397389_09591875.jpeg
Tファクトリーでは色んな意味で、とても勉強になりました。

先輩ニットデザイナーの後について、先生の指示を受け
日本橋界隈の会社訪問、こちらのお願いをして廻ります。

社内では若い私がチーフだけど5歳年上のニット
デザイナーを立て、階段やドアは私が引いき 彼女を
先に通して、相手先の前では私が名刺を出して挨拶する。


彼女の紹介で糸を調達する為に足利の堀田産業という
紡績会社に伺いました、良いですよと了承されて、
無償と勘違いして、東京へ帰って、大成功と
渋谷のお座敷で全員で祝杯…

翌日、二日酔いで再度足利へ行き、有償と判明した、
結束糸という6.5Gの家庭機にかかる綿糸です。

有償でもそんなに高くは無いし、そもそも紡績会社から
直で分けてもらえるのが、奇跡的でした。

足利の堀田産業さんの近くに給食室の様な手打ちうどん屋さんが
あって、肉つけ麺が美味しかった。

そちらで結束糸を頂いて、染工場は茗荷谷の黒川染工さん。
染工場さんで綿糸やシルクシフォンを染めて頂きました。

ただニットデザイナーがニット製品の目付や仕掛りを知らず(不思議)
何グラム用意するかで揉めましたし、途中で糸不足になってしまいました…

大学の繊維学で番手乗数を習ってたので、そう言ったら、
あなたが計算してと言われた、それはとっても腑に落ちない。

デザインされたニットは、量産なら「目付」と言って
1着当たりの重さを測って、何キロ染めれば良いかが分かります。

そして彼女達は家庭機しか知らなかったのです。
そうやって揉めながら、何とか作品は揃ってゆきました。

11月に間に合わなかったので、休み返上で仕事してたら
先生が懇意にしていた小料理屋さんのママ姉妹にお正月に
電話を頂き、自宅でおせちをご馳走してくださいました。
お料理上手なママで、とても美味しかった記憶。

森鴎外の娘の杏奴さんや文人が多く来られる小料理屋で、
大阪天下茶屋鐵工所出身のママ妹は ある有名な作家の
愛人だったらしいのですが、作家のお名前は存じません。
同じ大阪出身と可愛がっていただきました。

壁に中国の丸い屋根の何重かの塔の日本画がありました。
中国が舞台の小説と関係があるかな…と考えたりしたけど…
姉ママは美人でしたが、妹ママは決して美人でなく
肝っ玉の座った女性でした。


デザイン清書担当のKちゃんはずっとバイトしてた銀座の
お店の挨拶回りで忙しい、仕事中のアトリエに振袖姿で
やって来るし、忙しいので手伝わない人はさっさと
帰って貰いました。
同じ歳のKちゃんは美人じゃ無いけど竹下夢二の絵の様に色っぽい

私もこんなに働いたのは初めてだったかも知れません。
何が何でも成功させる意気込みで、アトリエに泊まり込み。

ショーのプロデュースはTVマンユニオンの方の紹介で
後に東阪企画の社長も務められた武井泉さん、
(東阪企画は沢田隆二さん、てなもんや三度笠を作ってた方です)

とっても、シャープな方で、いつも突っかけ履き、
指示をする時にホリゾントや舞台に上がり易いから…
今はもうお亡くなりになっていましたので、実名です。

a○a○のスタイリストのK.Hさんはセンスが良くって
女らしくてカジュアルなコーディネートが とても斬新

雑誌でも評価されましたが、後に先生からクレームが入り
ソニアにそっくりと言われたと、女々しい理由で…
その後も彼女は活躍し市田の「綺麗K.Hの着物」デザインで活躍。


試行錯誤しながらでも、ショーの30分前までザクザク編まれた
ニット作品に色取り取りに染めた原毛を通して階段で作業してた
(きっと先生が、寸前に何か付け足したくなったと思います)
モデルの秋川リサさんが、何々?、大変ね、と…
私が決めたモデルさんは有名人ばかり、小夜子さんも…

それで何とか成功して、ショーの翌日はお休みに…
あけて出社したら、作品はあるけど、仕様書やパターンが
全部無くなっていました。
家庭機で編む場合は普通パターンは不要ですが
複雑なデザインは、実寸であった方が便利です。

先生にこれは犯罪です。と言ったのですが、まあまあと…
終わった事には未練は無いと…

そしてその後、そのショーを見た方と噂を聞いた方々から
色々と新しい提案がありました。




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by cenepaseri | 2024-11-04 09:00 | 仕事史 | Comments(4)
Commented by Diary-17 at 2024-11-04 10:54
売れっ子モデルさん達もお使いになってパセリさんは一線で活躍されていたのですね。その頃の日本のファッションデザイナー達とその業界に勢いがあって活気に溢れていたように思います。
学生の頃、青山のブティック巡りが好きでした。地下鉄外苑前駅の近くにバスストップだったかバズショップ?そんな名前のブティックがあって好きでした。ある日そのお店の試着室から秋川リサさんが出てきてビックリ‼️
脚が鶏のように細かったのを覚えています。舌足らずで言葉遣いがxxだったのでちょっとビックリしましたけれどレッドフォックスのロングファーコートが今にも記憶に残っています。あの頃山口小夜子さんは表参道だったかしら?颯爽と歩いていらした。きっとパセリさんもレオンの前辺りを颯爽と歩いていらしたのかなぁと想像しています。
Commented by koito_hari616 at 2024-11-04 11:30
こんにちは

眩暈がするほどビッグネームがサラサラっと出てきています
知っている名前は秋川リサさんと山口小夜子さん
山口小夜子さんとお仕事でリアルに会われたんですね!
大好きでした。。。美しすぎると、見る度にタメ息でした
凄い半生で。。。読むだけで活力が出ます
Commented by cenepaseri at 2024-11-04 12:31
> Diary-17さん
この時代は日本のカジュアルファッションの黎明期でしたね。
私はちょうどいい時代に遭遇したと思います。
秋川リサさんは、あのまんまの方です、舌ったらずで、
よく喋り、明るい方です、丁度立木三朗さんと結婚してらして
少し痩せていました、訳を聞いたら、料理をしながら味見するから
食べたくなくなるって言ってました。
でも手伝ってくれようとしたり、いい方ですね。
山口小夜子さんは一人で楽屋で本を静かに読んでいましたね。
対照的なお二人でした。
原宿レオンも青山レオンもテリトリーでした。
Commented by cenepaseri at 2024-11-04 12:45
> koito_hari616さん
山口小夜子さんだけは普通のモデルクラブでは無いので中々大変でした。
先生の飲み仲間のメンズのデザイナーのお姉さんの事務所だったので
特別枠でお願いできました。
舞台裏でも文庫本を読んでる物静かな方です。
モデルさんって両極端ですね、ずっと努力する人もいるし。
ショーの3ヶ月くらい前にオーデションをするのですが、
サイズが合わずに、期限までに痩せた人も…凄いと思いました。