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青山〜チトフナぱせり日記

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独立してしまった1977年


2月に私の仕事史を書いてから、又も間が空いてしまいました。
ボロボロと忘れる速度が速いので、忘れる前に…と
急ぐ気持ちがあって、話が少し前後するかもですが…
独立してしまった1977年_e0397389_14440542.jpeg
Tファクトリーを辞め…バックにスポンサーが
付いてるからと、熱心に口説かれて、知人のアパレルの
社長と一緒に仕事をする事になったのですが…

独立の地は千駄ヶ谷、営業を担当してくださる
会社の1室を借り、新しいパタンナーの男の子N君と、
(佐賀県の工業高校の電子科卒の変わった子です)
前の会社からついてやって来たN子。
押しかけアシスタントでした。

しかしそう上手くは進まず、その社長は大手商社Sの甘言に乗り、
北欧出身のデザイナーの生地を捌く約束をし、大量仕入れ
その分が丸々借金になっていた。そしてスポンサーは動かない。

私は、意を決して、その方のスポンサーに会いに行きました、
するとそろばん片手に絶対に儲かる話なら金は出す、と言う
その社長に会って、この人とは私とは合わないと…痛感

私が仕事をする理由、勿論お金は必要ですが、その前に
良い仕事がしたい、儲けるより自分が満足できる内容、
関わる方が満足できるそんな会社が理想…今考えるとかなり甘いです。
でも根っからの商売上手では無いので…


77年春に独立してしまった時の最初のお仕事は
装苑やミセスの子供服などへの作品発表でした。


ミセスの子供服はこちらの中にあります


そして西武百貨店でのスパークコーナーの
商品制作(きっと売れなかっただろうと思うけど…)
担当者にくれぐれもちゃんと支払ってねと、確約
約束通り支払われました。

カネボウエマの部長からもお仕事をいただいた。

しかし千駄ヶ谷からは半年も経たずにお引越し。
アシスタントの女の子は寝返り、再びTファクトリーへ

引越しした理由はCMのお仕事の打ち合わせに
スタイリストさんが来るのが殆ど夜中。

突然ピンポンして自宅にやって来るので、そこ
(青山3丁目)から千駄ヶ谷へ行くのが遠くて…

自宅兼アトリエで青山通りの向かい神宮前3丁目へ。
劇団四季の女優さんやカメラマンがお住いだったと…
ガラス張りの明るいマンションでした。
南青山3丁目の2kのアパートはあのねのねの原田さんの後でした。

東京の雑誌と京都のデザイン研究所から頼まれた
情報誌の企画と通販Nへのデザイン企画提案。
(この頃は通販会社が自社生産してたのです。)

その後、日本橋の商社Tにパタンナーの男の子を
パターン契約し、私は企画で週3日通ってました。

忙しかったけれど、楽しかったです。

なぜ細かく覚えてるか?
それは年代入りの自分のプロフィルを持ってるから、
(デザイナーの履歴書みたいな物です)


そのT社と契約してる時にショーのお仕事が舞い込み、
そこの課長がウチには有名デザイナーは不要と…

実は一緒に工場出張で地方へ出かけてたのですが…

(仕事が間に合わなかったりした事は無いのですが…)
若い頃は寝坊とか、滑り込みセーフが多かった私です。

一度6時始発に乗るのに目を覚ましたら6時だった…
後から一人で岐阜の工場迄、遅れて行って叱られた。

別の日も行きの切符は目の前に売り場があった入場券、
そんな話をしてたら…帰りも真岡鉄道に2人で飛び乗って
課長は入場券で、私は1区間切符を持っていた…

私にしても、他の方にしてもそんなのは普通だと思いますが、
その課長は私と元同じ県、滋賀大出身の堅物なのです。
T社のルーツが近江商人。
その咄嗟の要領の良さが裏目に出たに違いないです。(^^;;


ここの会社はデザイナーが多くいて、色んな意地悪や
企みがまるでドラマの様にあったそうです。
パタンナーのN君が教えてくれます。

このN君とは数年前までよく仕事を一緒にしてました。
今も頑張っているみたいです。
工業高校の電子科を卒業した彼は姉が勤めていた佐賀県の縫製工場で
頭角を現し、大阪の有名な立体裁断の先生に指示し、東京本社で
パタンナーをしてましたが、なぜか私のもとへやって来ました。

ミセスのワンピースなのに、勝手に後ろヨーク切替部分に
メンズシャツの様なループを付けたりして、、、

MDに叱られるのは、私だけ、後から可愛いでしょ?
とか言って近寄って来て笑ってるパタンナーN君。
本当に悪いヤツです。
よく喧嘩をして、姉弟の様だと言われてたけど…

紙を切るのが早くて、天才と〇〇は紙一重などと
私は揶揄っていました。

フリーになってからはレディスのナチュラルビューティ、
メンズのポールスチュアートなどのパターンを引いてました。

以前はお金が貯まるとニューヨークや沖縄へ行き、
無くなると帰って来る様な子でした、今は無理かな〜

電子科卒だから独学でCADでグレーディングも
できるみたいです。
(そう、前に此の子の事は書きましたね)

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by cenepaseri | 2025-05-29 09:00 | 仕事史 | Comments(4)
Commented by kimanba at 2025-05-29 11:24
私ならば10話位にする話だなぁと思いながら
引っ越しの話だけでもドラマがいっぱい。
ぱせりさんは知った話だからタッタカタ〜でしようが
読みこなすのには内容が濃すぎ〜。。
ぱせりさん、凄かったんだなぁ。。
あの男の子がフリーズする筈だ〜ふふふ
Commented by koito_hari616 at 2025-05-29 11:54
こんにちは

ぱせりさんの半生は中身が濃いです
私の人生の3年?5年分ぐらい有ります💦
そう言えば私も若い時にシャツワンピースを着ていましたね
ぱせりさんがデザインされているのも有ったのかな??
当時を思い出します。。...( = =) トオイメ目
Commented by cenepaseri at 2025-05-29 12:45
> kimanbaさん
2番目の会社を辞めてから、勢いで独立してしまって
アラ、タイヘンでした。
女性だから舐められると大変だから、株式会社にして。
名刺やタグ、ネームを作ってたら資本金はなくなっちゃうし…
営業する人は居ないし…
デザイン契約先を見つけて息を継いでいました。
昔の方が波瀾万丈。でも、若かったから乗り越えられたのだと思います。
こんな煮え切らない時代が数年ありました。
Commented by cenepaseri at 2025-05-29 12:59
> koito_hari616さん
結うさんは細くていらっしゃるから
トラッド調のワンピースがお似合いだったでしょうね。
仕事ではシャツワンピースを作ってましたが、着た事が無いのです。笑
アンティーク(英国の古着)やニットのワンピースを着てた気がします。
「紺屋の白袴」と母によばれてました。
実家に帰ったら、その古着を母が薄くなってるからと
裏から当て布を付けられました。今なら穴あきジーンズですね( ̄∇ ̄)