今年はやっと父の日にお花を持っていけると思ってい
ましたが、とうとう叶わない事になってしまいました。
コロナ禍が無ければ義父の生活ももっとずっと
違っていたと思います。
80歳から16年間、野菜作りでご近所と一体化してた
義父(作った作物をご近所に配り、料理に変身し戻り)
一人暮らしでSOSを出したのは96歳の冬でした。
毎年暮れは東京か大阪の義弟の所で年越しをしたり、
夏もたまに一緒に温泉へ行ったりしていたのです。
夫が様子を見に行き、これは危ないと連れて帰ったのは
2017年の4月で、5月には復活して、退屈な日常が
始まって、遊び相手がいない、話す人は息子だけ…
そんなこんなで、私が美味しいご飯が用意されてる
調布の施設を見つけました。
ジュニア野菜ソムリエで有名ホテルでフレンチ、イタリ
アンを学び創作イタリアンレストランを立ち上げた
シェフと管理栄養士が手を組んだ美味しい食事。
それと言うのも私の先輩の料理上手なパターンの先生が認知症になり、
市ヶ尾のグループホームに入られたので尋ねてみると清潔で楽しそうな
施設でした、ところが家に帰りたいと、食べ物が口に合わないと仰って
これは不幸な事だと私は思いました。
食事とディサービスが楽しければきっと義父は不満が
無いに違い無いと…大当たりでした。
周りのスタッフさんも良い人ばかりだったし、
将棋仲間もいて元気な時は生き生きとしてました。
此処最近の数年は義父は誕生月から具合が悪くなり、
春が来ると元気になる、そんな繰り返しでした。
今度は駄目だったけれど…
太平洋戦争の時は水上母艦の千歳に乗り、ミッドウェイ
の手前まで行き、引き返して難を逃れて、その後潜水艦
にと言われたのを断り、台湾で陸上業務、千歳は沈没。
何度も命拾いをして来ました。
2019年の1月に義父が榊原病院で心臓の手術を
した後、義父が1年一寸過ごした台湾へ行きました。
出掛けるギリギリまで行けるかどうかだったのですが、
何かあったら夫が私だけでも行けと言ってたのですが
台湾で病院からの電話も有り、冷や冷やしたのですが、
幸い退院は旅行後になりました。
この旅は義父の思い出を辿る旅でもあった様です。
(後付けですが…)
2021年はコロナで行けず7月に
2020年の父の日