先日の秋祭りの氏神様 金王八幡宮を訪ねてみました。
六本木通りから渋谷3丁目を並木橋の方へ下って
行くと 右手に大きな鳥居があります。

階段の上に 神門が見えて来ます。

江戸時代に春日局が作ったと言われている神門と社殿
人は入らない様にしていますが、結構大勢居ます。
正面に金色の龍

左には虎

右には象
社伝によれば1092年(寛治6年)
現在の渋谷の地に渋谷城を築き、
渋谷氏の祖となった河崎基家(渋谷重家)により
創建されたとされます。
渋谷氏(河崎氏)は大攻により源義家から
武蔵谷盛庄七郷(渋谷、代々木、赤坂、飯倉、麻布、
一ツ木、今井など)を賜わり
重家の代になって禁裏の賊を退治して
堀河天皇から渋谷の姓を賜りました。
この八幡宮は八幡通り(旧鎌倉街道)、青山通り 宮益坂
道玄坂(旧大山街道)を中心とする渋谷、青山の
総鎮守として崇めたてられています。
江戸時代には徳川将軍家の信仰を得、
特に3代家光の乳母春日局は神門、社殿を
造営したとされる。
江戸時代末期まではこの神社に隣接する
渋谷山親王院東福寺(天台宗)が別当寺であった。
図書は澁谷八幡と称していた。社名にある
「金王」は重家の嫡男常光がこの神社に祈願して
金剛夜叉明王の化身として生まれた事により
金王丸と称した事によるとされています。
金王丸御影堂です。
御祭神は渋谷金王丸常光
金王丸は源頼朝から義経追討の命を受け、文治元年(1185年)に義経の館に討ち入り勇ましい最後を遂げました。この中には木像が納められています。
渋谷城の本丸跡はそのまま金王八幡宮境内になっています。
1092年は平安時代で廃城は1524年(大永4年)
渋谷城の砦の石
あの渋谷川を水源に水堀を巡らされていた。
北条氏綱による関東攻略の際に、この城は後北条氏の
別働隊によって消失し、渋谷氏は滅んだ。
この渋谷城が有ったと初めて聞いた時、日本昔話の
絵面で道玄坂からの一本道が脳裏に浮かびました。
お日様がポカポカで毛皮のチャンチャンコを着た
ボサボサ頭の武士が歩いている風景、長閑です。
真田丸の草刈正雄のイメージに近いです。(^ω^)
此処には他にも色々見所がありました。
先ず拝殿脇の大きな金王桜

長州緋桜という桜で花びらは5〜7枚が普通なのですが
雄しべが花弁化したものも混じって一枝に一重と八重の
花が混じって咲く大変珍しい桜だそうで、又、一名を
憂忘桜(憂さ忘れの桜)とも呼称されていたそうです。
この桜は金王神社社記によれば、源頼朝の父義朝に使えた
渋谷金王丸の忠節を偲び鎌倉亀ヶ谷の館から
移植されたものとされています。
そしてこちらは芭蕉の句碑、調べてみたら、
しばらくは 花の上なる 月夜かな でした。
(満開の桜の上に月がさしかかっている。
絶景の夜だなぁ)だそうです。
境内には神楽殿も有ります。

木の根元が祠になって向こうの景色が見えます。
神宿るって感じがします。
向こうが正面で注連縄があるのです。
でも此方の方がリアルに見えます。

そして少し戻って近くにある渋谷山東福寺

右に曲がって、かなり閑静なお寺です。

承安3年(1173年)創建の渋谷区最古の天台宗の
お寺です。木造仏や銅造仏があるそうです。
宝永元年(1704年)の銘がある梵鐘

本堂脇の木、大きなコブが有ります。

何で、私は穴とかコブとか木になるのでしょうね、
娘もそうで、どうでも良い物が気になってばかり…
境内には池から水が流れています。
もう直ぐ咲きそうな白い曼珠沙華
さらっと流すつもりで出かけて、後から調べたら
知らなかった事がどんどん出てきて、長くなって
しまいました。
渋谷城が有ったは昔から知ってましたが、
京都の検非違使に行っての武勲とか お話が一杯で
歴史に疎いので言葉不足も多々有りそうです。
境内には宝物殿も有り例大祭に使われる鳳輦等
色んな宝物が所蔵されています。
渋谷駅から300mの所ですから、時間があったら
訪ねてみるのも一興です。
カフェ等は有りませんが…